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9をめぐる

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2013.11.16 Sat 「 私の特技習作
私が最初に吐き出した魚は、たしか金魚だった。



 縁日の金魚掬いで掬えるような貧相な奴ではない。もっと高級そうな、でっぷりと肥って斑入りの長い尾鰭がひらひら優雅にたなびいているような、そういう奴。
 その時私は小学六年生で、朝からひどい腹痛で臥せっていた。私は冬でも鼻水垂らしながら半袖を着ているような子供だったので、母は私が学校を休むほどの腹痛に見舞われたのを大層心配していたようだ。しかし私の両親は共働きで、結局何かあったらすぐ呼ぶようにと職場の連絡先を記したメモ紙と私だけが残されたのだった。
 私はそれまでの短い人生で経験したことの無い痛みを下腹部に感じていた。布団に横たわってはいるものの、一向にまぶたが降りて来る気配は無く、眠ってしまうことで痛みをやり過ごそうという試みは成功しそうになかった。自分の腹を内側から何者かにやすりがけされているような痛みだった。今にも腹が裂けていつか何かの映画で見た虫みたいな生き物が這い出てくるのではないかという妄想さえ実際に起こる気がした。
 布団でただうずくまっていても埒があかないと思って、私は台所へと向かった。一歩一歩足を踏み出す振動が鈍い痛みを惹き起こし、私から動く気力を奪ってゆく。私の部屋は二階にあって、階段を降りれば目の前に台所がある。普段の調子なら三十秒もかからないような距離だ。しかしその日の私は一体どれほどかかったのだろう、体感的には殆ど永遠に近かった気がする。部屋から階段までの廊下はアマゾン川を泳いで渡っている気分だったし、たった二十段も無い階段はその段を無限に増やしていた。
 気がついた時には汗びっしょりで台所に突っ立っていた。
 多分少し意識を失っていたと思う。倒れなかったのは幸いだった。元々馬鹿なところをさらにこじらせてしまう所だ。
 はっと我に返った私は相変わらず律儀に身の内を削り続けている何者かを呪いつつ、少しでも気を紛らわせようと蛇口から水を汲み、一気に飲み干した。それで私は私が酷く喉が渇いていたことが分かった。コップ一杯ではまだ足りなかったので、もう一杯、なみなみ注いで飲み干した。もう一杯。もう一杯。もう一杯。五杯ほど呷ったところでようやく満足した。
 異変は直ちに起きた。
 相変わらずの腹痛に加え、私は激しい吐き気を催した。
 胃の中でミミズがのたくるような感じがした。
 私は慌ててトイレへと駆け出した。
 腹痛のことは既に頭から抜け落ち、床に吐瀉物を撒き散らさないことが最優先事項だった。
 ドアノブを回すのももどかしく、扉を蹴破るようにして駆け込んだ私が便器にかがみこんだまさにその瞬間、胃の中のミミズ感は食道を上昇し、遂に口腔に達した。
「けろ」
 ぱしゃっ、と予想していたよりも少ない物量を吐き出した私は、自然と出てきた涙を拭いて便器の中を覗き見た。
「金魚」
 するとそこには、前述の通り真っ赤な立派な金魚が優雅に尾鰭を振っているのだった。
 なんとも不思議な光景だった。
 その時、私の腹痛はきれいさっぱり治ってしまっていたのだった。

「嘘」
 と彼女は言った。
「本当」
 と私は答える。
 彼女の気持ちはよく分かる。私だって自分がこんな体質でなければ荒唐無稽の一言の下に頭から信じていなかっただろう。
「荒唐無稽だって自分で分かっているんじゃないの」
「そりゃあそうよ。だって他にこんな人見たこと無いもん。でも私の話は本当」
 今までそれほど多くの相手に打ち明けた訳ではないが、この話を聞いた人間の次の反応はこうだ。
「だったら吐いて見せて頂戴よ」
 期待通りの反応だった。
「言うと思った」
 私がからかい半分にそう言うと、彼女は少しすねたように頬を膨らませる。私は彼女のそういう反応を見たいがために、敢えて普段から道化を演じている節がある。
「でも駄目。出来ません」
「えー、この目で見るまでは信じられないなぁ」
「別に信じてもらわなくたって私は構わないけれど。月に一度しかできないのよ。それにいつ出てくるかも私には分からないし。大体の周期は決まってるけど」
 前兆はある。例の激しい腹痛と吐き気だ。しかし自分の世話をするだけでも大変な状態の時に、誰かに「これから魚を吐きますから御都合よろしかったら見にいらっしゃいませんか」などと連絡をする余裕は無い。
「ふぅん……その話が本当だとして、金魚以外も吐くの?」
「というか最初の時以外は金魚が出てきた事が無いわね。メダカ、グッピー、カクレクマノミ、エンゼルフィッシュ……」
「随分色鮮やかなのね」
「関係無いけど、色付いてるお酒で吐くと吐瀉物もその色になるのよね。自分の吐瀉物が真っ赤に染まっていた時は私もう死ぬんだ、って思ったわ。痛飲って言葉の意味を知った気がしたもん」
 私のくだらない話に彼女は露骨に顔をしかめた。なにもそこまで嫌そうにしなくても良いんじゃなかろうか。私は彼女がしこたま飲んで吐いた時に要らぬ心配をせずに済むよう教えてあげているだけなのに。
「聞きたくもない話をどうもありがとう。にしても熱帯魚縛りでもしてるの? そのうちアロワナでも出て来るんじゃない?」
「それは流石に遠慮したいわね。トイレが詰まっちゃう」
「そういう問題?」
「それが一番の問題なのよ」
「あたしならペットショップに売るけどね」
 そう言って彼女は一口コーヒーを啜った。
「お行儀が悪いわね」
 私は彼女に釣られてカップを持ちあげる。
 腕のそのわずかな動きに呼応するように、私は下腹部に鈍い痛みを覚えた。

  *  *  *  *  *

お題bot*()より、お題『口から魚を出す少女』
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